漢詩作法入門講座

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一句一聯の妙処 - 淡窓詩話

○問 一句一聯の妙處は、古人の論を聞きて之を曉れり。篇法の妙に至りては、未だ窺ひ知ること能はず。願はくば其一端を聞かん。

漢魏の詩は、皆篇法の妙のみて、字句を摘んで論ず可からず。但し其篇法と云ふもの、自然に出づ。人力を以て造作するに非ず。六朝以來始めて佳句あり。是に於て句法篇法の説あり。畢竟一篇の妙處と云ふものは、論じ難きものなり。今强て其一二を擧げんに、陶淵明が「採菊東籬下。悠然見南山。」(「雜詩」 結廬在人境。而無車馬喧。問君何能爾。心遠地自偏。採菊東籬下。悠然見南山。山氣日夕佳。飛鳥相與還。此中有眞意。欲辨已忘言。)、の二句を古今佳句と稱すれども、實は此十字のみにては、何の妙もなし。前に「結廬在人境。而無車馬喧。問君何能爾。心遠地自偏。」、と四句問答を設けて、身塵中に在りて、心塵外に遊ぶことを叙ぶ。是れ虛叙なり。「採菊」以下の六句、一時の景を寫し、以て前の言を實にす。是れ實叙なり。若し「採菊」の二句を初に置きて、後半虛叙を用ふることなれば、誰も能くすることなり。唯だ虛を以て起し、實を以て結び、「採菊」の二句、中間に在りて轉換する處、甚だ妙なり。韋蘇州が幽居の詩(「幽居」 貴賤雖等。出門皆有營。獨無外物牽。遂此幽居情。微雨夜來過。不知春草生。青山忽已曙。鳥雀繞舍鳴。時與道人偶。或隨樵者行。自當蹇劣。誰謂薄世榮。)、亦陶が法を學ぶものなり。「貴賤雖等」の四句、己れが幽居無營の平生を叙ぶ。而して後ち、中間に「微雨夜來過」の四句を安置す。是れ唯一朝の景にして、幽居の情狀宛然たり。陶が「結盧」の四句、卽ち韋が貴賤の四句なり。陶が「採菊」の四句、卽ち韋が微雨の四句なり。二詩皆前後に平生を虛叙し、中間に一時の景を實叙す。篇法の妙、雋永(センエイ)にして味ふべし。若し專ら虛叙を用ひ。又專ら實叙を用ひ、或は前半を實叙にして、後半虛叙ならば、如何ぞ此の如きの味あらんや。

韋蘇州が「故園渺何處」(「聞雁」 故園眇何處。歸思方悠哉。淮南秋雨夜。高齋聞雁来。)の絶句を、沈德潛論じて曰はく、「『淮南秋雨夜』の二句、起承に置くべき所なり。却て之を轉結に置く。此詩の妙處、全く此に在り」と。予以爲へらく。王之渙が「白日依山盡。黄河入海流。欲千里目。更上一層樓。(鸛鵲樓)」、是も亦韋が詩と同趣なり。「白日」の二句は登樓の見る所なれば、後に出すべきを、前に揭げ、結句に至りて、始て登樓の事を云ふ。是れ篇法の妙なり。七絶にも此法多し。推して知るべし。

李白が「越中懷古」(「越中懷古」 越王勾踐破呉歸。義士還家盡綿衣。宮女如花滿春殿。只今惟有鷓鴣飛。)、前三句に古を叙べ、後一句に今を叙べたり。是れ亦奇法なり。古今を二句づ﹅に分ち叙ぶることは、通例の法なり。少陵が「花隱掖垣暮」(「春宿左省」 花隱掖垣暮。啾啾棲鳥過。星臨萬戶動。月傍九霄多。不寢聽金鑰。因風想玉珂。明朝有封事。數問夜如何。)の詩、第一聯に暮色を叙べ、第二聯に夜色を叙べ、第三聯に曉に近きの情事を叙べ、第四聯に明朝の字を下す。篇法森然秩然たるものなり。「春夜喜雨」の詩(「春夜喜雨 」 好雨知時節。當春乃發生。隨風潛入夜。潤物細無聲。野徑雲倶黑。江船火獨明。曉看紅濕處。花重錦官城。)も亦然り。第一聯晝間を叙べ、第二聯「入夜」の字を下す。第三聯深夜の景を叙べ、第四聯「曉看」の字を下せり。凡そ脈絡は貫通するを貴ぶ。然れども亦甚だ露る﹅を忌むなり。

少陵が律は、前半後半戴然として相關らざること、絶句二つを續きたるが如きもの多し。却て其の高雅を覺ゆるなり。晝夢の詩(「晝夢」 二月饒睡昏々然。不獨夜短晝分眠。桃花氣暖眼自醉。春渚日落夢相牽。故郷門巷荊棘底。中原君臣豺虎邊。安得農息戰鬪。普天無吏横索(一レ)錢。)、 前半の夢多きを叙べ、後半亂世の威を叙ぶ。斷えて相關らず。「白帝城中出門」の詩(「白帝」 白帝城中雲出門。白帝城下雨翻盆。高江急峽雷霆鬪,古木蒼藤日月昏。戎馬不歸馬逸。千家今有百家存。哀々寡婦誅求盡。慟哭中原何處村。)、前半暴雨を叙べ、後半亂世の威を叙ぶ。總て相關らず。其他此類極めて多し。今人の人强て前後の照應を求む。古法を知らざるなり。或人曰はく、「李杜の詩と雖も、法則に至りては、今人の密なるに及ばず」と、妄なるかな。嚴滄浪曰はく、「詩李杜を師とするは、天子を挾んで諸侯に令するが如し」と。此言得たり。

孟浩然が五律、多くは一気呵成、斧鑿(フサク)の痕なし。其妙一篇に在り。字句を以て論ずべからず。「掛席幾千里」の詩の如き、是も妙なるものなり。然れども其妙處言を以て述べ難し。王維が「中歳頗好道」の詩(「終南別業」 中歳頗好道。晩家南山陲。興來毎獨往。勝事空自知。行到水窮處。坐看雲起時。偶然値林叟。談笑無還期。)も亦同じ。但五六の「行到水窮處。坐看雲起時。」の二句甚だ巧密にして、行て到るは第三句に照應し、坐して看るは第四句に照應す。天然の中人工を雜へたるものなり。孟が妙處は學び難く、王が妙處は學ぶべし。

崔顥が「黄鶴樓」の詩(「黄鶴樓」 昔人已乘黄鶴去。此地空餘黄鶴樓。黄鶴一去不復返。白雲千載空悠々。晴川歴々漢陽樹。芳草萋々鸚鵡洲。日暮鄕關何處是。煙波江上使人愁。)、唐人七律の第一と云ふ説あり。是亦其妙一篇に在り。字句を以て論ずべからず。專ら風神以て勝れるものなり。

絶句は大略皆風神を宗とす。律に至りては然らず。然れども盛唐の詩は、一氣混成したるもの多し。李白孟浩然が如き是なり。其律詩を熟覧せば、自ら篇法の妙、字句に與らざることを悟るべし。蘇東坡の七律、風神を主として、古調に近きもの多し。「我行日夜向江海(「出穎口初見淮山是日至壽州」 我行日夜向江海。楓葉蘆花秋興長。長淮忽迷天遠近。青山久與船低昂。壽州已見白石塔。短棹未転黄茆岡。波平風軟望不到。故人久立煙蒼茫。)、「安石榴花開最遲」(「首夏官舍即事」 安石榴花開最遲。絳裙深樹出幽菲。吾廬想見無限好。客子倦遊胡不歸。坐上樽雖滿。古來四事巧相違。令人卻憶湖邊寺。垂柳陰々晝掩扉。)の諸篇の如き、其妙處を見るべし。

七古の短篇、柳宗元が「漁翁夜傍西巖宿」(「漁翁」 漁翁夜傍西巖宿。曉汲清湘楚竹。煙銷日出不人。欸乃一聲山水綠。迴看天際中流。巖上無心雲相逐。)、「楊白花風吹渡江水(「楊白花」 楊白花風吹渡江水。坐令宮樹無顏色。搖蕩春光千萬里。茫茫曉日下長秋。哀歌未斷城鴉起。)の二首、絶妙と稱すべし。予此二首に於て、頗る短古の趣を悟ることを得たり。然れども言に傳ふべからず。大抵短篇は奇峭なるに宜し。平穩に宜しからず。

八句の七古、岑參が「今年花似去年好(「韋員外家花樹歌」 今年花似去年好。去年人到今年老。始知人老不花。可惜落花君莫掃。君家兄弟不當。列卿御史尚書郞。朝囘花底恒會客。花撲玉缸春酒香。)、衛萬が「君不見呉王宮閣臨江起」(「呉宮怨」 君不見呉王宮閣臨江起 。不珠簾江水。曉氣晴來雙閣間。潮聲夜落千門裏。勾踐城中非舊春。姑蘇臺下起黄塵。秖今惟有西江月。曾照呉王宮裏人。)の如き、雋永の味あり。法とすべきものなり。

五古の長篇は、「孔雀東南飛」を以て祖とす。之に次で少陵が「北征」則るべし。七古長篇は、大白が「憶昔洛陽董糟邱」、少陵が「將軍魏武之子孫」の如き、雅健にして則るべし。香山が五古七古、極めて長篇多し。今人の平易冗弱の門を開く者なり。則るべからず。

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