漢詩作法入門講座

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『論詩』について - 淡窓詩話

○問 先生「論詩」詩の結末の、「誰明六義要。以起一時衰。」とあり。如何なる處を以て、今時の衰を起し玉ふや。

予が詩を論ずるの詩は、二十年前の作なり。此時壯年の客氣未だ徐かず、一家の説を唱へて、當世の弊風を矯めんとするの意あり。關島二子にも其旨を喩せり。故に一時の衰を起すの言あり。今は其念斷えてなし。夫れ詩は人々の志を言ふものなり。「人心不同若其面」なれば、詩も隨って不同あるべきことなり。世の一家を成す者、己れ一人の好む所を以て、之を天下に施さんとす。其説に從ふ者は、同調と稱して之を親むこと兄弟の如く、其説に從はざる者は、之を排撃して仇讐の如し。是れ明朝以來門戸を分つの惡習にして、我邦に傅染し、其風ますます甚し。當世の詩は、如何にも其體下りて、風雅の旨を失ふこと多し。然れども之を矯めんとするときは、必ず一偏の説を唱へざることを得ず。是尤めて之に做ふと云ふものなり。故に予は只予が好む所に從ふのみ。廣く世人を誘ひて予が説に從はしむるの意なし。若し人が好む所と同じきものあらば、予に從ふも可なり。若し好む所同じからざれば、門人とても强て同うす可らず。抑〻正德享保の詩は、格調ありて性情なく。天明以後の詩は、性情を主として格調あることを知らず。是れ皆一偏にして中を得ざるものなり。予が好む所は、性情を主として格調を廢せず、二つのもの﹅中を取るなり。享保は明を學び、天明は宋を學ぶ。予は唐人を主として宋明を兼用す。是れ予が好む所なり。然れども天下に廣く流行する説は、其説必ず淺近にして一偏なり。如此ならざれば、中下等の人を引き入る﹅こと能はず。予が如き漠然たる説は迚も人の耳に入らず。是亦子莫が中を執りて權なきの類なるべしと。自ら一笑して止みぬ。

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