漢詩作法入門講座

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五家(陶王孟韋柳)の妙処及び長短は - 淡窓詩話

○問 先生陶王孟韋柳の詩を好み玉ふと聞及べり。五家の妙處及び長短、何れの處にありや。

陶王孟韋柳の五家、予其詩を愛して之を諷詠すること、頗る熟せり。然れども其詩を詩法として之を學ぶには非ず。凡そ古今の人相及ばず。且人々の天分あり。強て古人を模倣することあるべからず。予が五家の詩に於ける、享保の人の于鱗を學び、近人の放翁を學ぶなどとは、大に同じからず。若し我門に在る者、是等の詩を模倣して、是れ我師の流派なりと云はば、大に予が本意に背くことなり。先此意を熟知すべし。

陶詩の今に存するもの多からず、其集を觀るに、精粗相半せり。世人唯其詩の高妙なることを賛嘆するのみにて、其精粗を分つこと能はず。是れ唯虛聲に吠ゆるのみにして、其實を知らざればなり。陶詩も善き詩は、皆心を用ひて鍛錬せしものと見えたり。其粗作は皆意を用ひらざるものなり。此處は古今別なし。俗人は淵明などは詩に心を用ふる人に非ず、只口に任せて言ひたるが、自然にて善きことと思へり。詩を知らざるの至りなり。

陶詩の妙、其辭を古にして、其趣を新にするに在り。其四言は三百篇を模す。而して風神大に異なり、今一二を挙げて言はんに、「有洒有酒。閒飲東窻。」(「停雲」停雲靄靄。時雨濛濛。八表同昏。平陸成江。有酒有酒。閒飲東窻。願言懷人。舟車靡從。)また「有風自南。翼彼新苗。」(「時運」邁邁時運。穆穆良朝。襲我春服。薄言東郊。山滌餘靄。宇曖微霄。有風自南。翼彼新苗。)上の二句は其まヽの詩經なり。下の二句は詩經に似たりと云ふべきや。五尺の童子と雖も、其類せざることを知る。是れ陶が古を學ぶに長ずる所にして、所謂不卽不離と云ふものなり。五古は漢魏を學んで、風神又異なり、是も四言に準じて知るべし。歸去來辭、楚辭を學んで、其神ますます異なり、「雲無心以出岫。鳥倦飛而知還」など。屈原宋玉に似たりや。其體いよいよ古にして、其趣いよいよ新なり。是れ陶が妙處の一なり。

田園の趣を寫すこと、陶に始まれり。漢魏の詩は、其述ぶる處、大抵富貴聲色の樂、生死離別の感のみなり。陸機が文賦にも、「詩緣情而綺靡(キビ)」と云へり。乃ち此の處を斥(サ)すなり。晋人に至りて、稍〻玄遠の旨を加ふと雖も、畢竟綺靡を脱せず。淵明に至りて、始めて田園閒適の景を寫す。上は漢魏を越えて豳風(ヒンプウ)小雅の諸篇に接し、下は唐宋の人の粉本となる。是亦陶詩の古今に獨歩する所以なり。

陶詩は旨趣平淡なれども、聲調瀏喨(リュウリョウ)たり。故に朱子も「詩健而意閒」と評したり。詩の健なるは、卽ち調の瀏喨たるなり。意閒なるは、卽ち旨の平淡なるなり。天を樂み命に安んず、旨の平淡なる所以なり。英氣中に存す、調の瀏喨たる所以なり。凡そ詩は色と聲との二なり。其色淡なるものは、其聲響あるべし。淵明浩然が如き是なり。其聲和するものは、其色濃かなるべし。摩詰蘇州が如き是なり。是等の事、人々の容易に辨識すべきことに非れども、陶詩の妙を論ずるに因り、少しく其旨を洩すものなり。

王摩詰が詩は、陶を學びたるものなり。其佳句多くは陶が語を敷衍(フエン)せり。孟子の論語の義を述べ、荘子の道德經を述べたるが如し。其句は予が隨筆に一二を擧げたり。故にここに略す。王は景を寫すに巧なり。古人之を「詩中有レ畫」と云へり。予が見る所を以てするに、古今景を寫すの妙は、少陵摩詰の二家を最とす。

杜王皆景を寫すに巧にして、其趣同じからず。杜は體物に精し。風雲雨雪よりして草木禽蟲に至まで、皆其體貌を寫し、又其精神を寫す。形容微細にして、毫釐(ゴウリン)を極めたり。王が景を寫すは、寫意を主として、微細に及ばず。貴ぶ所は風神に在り。其一二を擧ぐれば、杜が「穿花蛺蝶深々見。點水蜻蜓款々飛。」、是れ其意、蝶と蜻蜓との情態を形容して、其精微を極むるに在り。王が「漠々水田飛白鷺。陰々夏木囀黃鸝」は、其意鷺と(ウグイス)に在るに非ず。只水田林木の夏景愛すべきを寫すに在り。杜が「返照入江翻石壁。歸雲擁樹失山村」は、是れ返照歸雲を形容するものなり。王が「雲裡帝城雙鳳闕。雨中春樹萬人家。」は、雲と雨とを形容するに非ず。唯春望の賞すべきを云ふのみ。其他皆然らざるはなし。詩を學ぶ者、二家の佳句を熟讀し、又其立意の同じからざる所を味ふべし。

の漢字は、「鶯」の別体字。鶯の別体字

王は諸體皆長ぜり。其詩李杜に及ばずと雖も、亦相抗するに足れり。清人に唐人を品して、李杜王の三家を主とする者あり。其言過譽に非るなり。

孟浩然が詩は、其才力遙に摩詰に劣れり。然れども、風神高邁の處は、殆ど王を憑凌せり。是れ千古王孟を以て並べ稱する所以なり。

孟は五言に長して七言に長ぜず。王が諸體具足するに如かず。其風神は淵明に近し。但し「具體而微」とや云はん。

孟が五律、古詩を以て律體とするもの多し。「挂席幾千里」(「晩泊潯陽爐峰」挂席幾千里。名山都未逢。泊舟潯陽郭。始見香爐峰。嘗讀遠公傅。永懷塵外蹤。東林精舎近。日暮但聞鐘。)、「挂席東南望」(「舟中曉望」挂席東南望。青山水國遙。舳艫爭利涉。來往任風潮。問我今何適。天台訪石橋。坐看霞色曉。疑是赤城標。)の二篇の如き、人或はこれを以て古詩とするものは非なり。古調を以て律體を作ること、孟が獨得の妙なり。若し古詩とすれば、律體に近くして古を朱へり。律とすれば、古色ありて賞すべし。其他の詩も皆古意を帶びたり。是れ孟が陶に亞(ツ)ぎ王に配する所以なり。

韋蘇州が詩も陶に本けり。最も五古に長ぜり。專ら文選を學びたるものにして、六朝の遺音あり。其近體は大暦の調にして、初て盛唐を變じて中唐となすものなり。

陶韋並び稱すること、白香山に始まれり。韋柳並び稱するは、蘇東坡に始まりしなるべし。何れも善く配合したるものにて、古人識鑒(シキカン)の明かなること、嘆稱するに餘りあり。

陶韋相似たる處は、冲澹(チュウタン)閒遠の趣なり。其別を言はヾ、陶は清、韋は和、陶は淡、韋は濃なり。之を德行に譬ふれば、陶は伯夷に似たり、韋は柳下惠に似たり。陶詩を學ぶ者、或は枯槁(ココウ)に墮つることあり。韋詩は極めて滋潤なり。若し專ら韋を學ぶときは、弱に墮つるの病あり。陶韋兼學ぶときは、交も相補うて其宜しきを得べし。

韋蘇州が集、極めて誤字多し。故に詩中に語を成さヾる所往々あり。予韋の詩を抄するに、頗る改竄する所あり。必ずしも作者の眞に非ずと雖も、坊本の誤あるには勝れり。

王韋並び稱することも、往々に見えたり。是れ何れも冲澹の中、溫麗を帶びたる所よりして稱するものなり。韋が才力は遠く王に及ばず。然れども五古は却て勝れり。王が五古は、俊爽にして古色に乏し。全く唐韻なり。韋は古拙にして、六朝の遺音を帶びたり。韋が近體は王が雅健なるに及ばずと雖も、優婉の趣は勝れり。

柳子厚は文に長したる人にして、韓柳並び稱すること、古今の通論なり。詩は全く文の餘事なり。集中の詩、僅に百六十餘首あり。然れども其結構精密なること、言語に絶えたり。古人之を韓詩に配し、或は韓が上に在りと云へり。韋柳並び稱することは、二家皆古詩に長し、皆六朝を學び、冲澹を旨とする處、相似たるが故なり。

柳が才と學と、固より韋が及ぶべき所に非ず。然れども韋が詩は、天然の妙處、人工を假らざる所あり。且つ溫厚和平の旨に叶へり。故に人往々之を柳より勝れりとす。之を人才に譬ふれば、田文が呉起に勝れるの類なるべし。

陶柳並び稱することあり。東坡に始まりなるべし。是れ平淡清遠の中、風骨峻峭なる處あるを取りて稱するものなり。朱子曰、「學詩須陶柳門庭中。不然無蕭散冲澹之趣。不促於塵埃。無古人佳處。」也と。予極めて此語を愛す。嘗て此語を書して座右に掛けたり。是れ人の予が五家を宗とするの説ある所以なり。又嘗て陶を以て祖とし、王孟韋柳を宗とし、一祖四宗の言あり。是れ其流派の傅來する所を品評するものにして、我詩の祖宗とするには非ず。聞く者誤り認むべからず。

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