漢詩作法入門講座

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雅俗 - 詩學逢原

詩 學 逢 原 卷之下

雅俗

詩は風雅の器なり。俗用の物に非ず。若(もし)俗用の物ならんには、詩を借るには及ばず。常語俚語にてことすむべし。詩のみに非ず。日本の歌とても同じ。俗用にて事すむと云はば、譬へば、人を、「こなたは、かしこき人なり」と、ひらたくさし付て言ひても、事すむべし。然ども人の面前にて、「そなたはかしこき人じや」とは、孩兒をすかすやうにて、いかにしても云はれず、まして、なじみ無き人、位貴德高き人などへは、いよいよ云難きこと也。

然るに挨拶により品により、かく云たき情あるにあたりて、或は重きは「愷悌君子、民之父母」と云、「有斐君子、如切如磋」なんどと云、輕きは「有美一人」と云、「國之司直」と云より以下、或は芝蘭・玉樹に比し、或は山川・土地になずらへ、或は其衣服・環珮・車馬・器物に比してこれを美(ほむる)は、輕薄にも聞えず。不諛不(へつらわず、なれず)、情も達し、人もよく受、況や、ふしを付てうたひかなでたらんには、彌(いよいよ)品よかるべし。

今日目出度祝儀の席に臨て、盃を擧て壽を獻ずるに、目出度儀とばかりには口上にもいえども、一とほり挨拶までにて、委(くはし)き祝意も逹しがたく、賓主の歡心も薄かるべし。ここに於て、小謠の一つもうたひて、君は千代までなど、又はちばこの玉を奉るなどと謡へば、自ら祝意濃に通じ、賓主歡を盡す。春秋の世列國の士大夫、會合の度ごとに、必一章二章を取義して賦す。右の意なり。其餘、人をなつかしく思ひ戀ひ慕ひ、或は別を惜み死をかなしむの類、皆うちつけには云がたし。物になずらへ事によそへ、我情を述、是れ即雅なり。

唐の白樂天が詩は、人情の發する処なれば、故事を用ひ、文字を工にし、句を幽玄にわかり難くする類、皆世人の耳に遠し。誰かききてよく合點ゆきて世上人の情を能言ひかなへたるこそ、詩の本意なれとて、作り出す度ごと、ひらたく打つけて、俗人の能會得するやうに作り、門前の嫗(うば)に聞かせても面白きことかなと云へば、自分も出來たりと悅、彼嫗合點ゆかずといへば、是では惡しとて棄てたる由、理はきこえたる様なれども、以の外のことなり。後世詩道の亡ぶべき端、是に過るはなし。さるによりて後世にも白俗と名付て、是を陋とす。風雅の道を鄙俗の道となすこと、天を地と云、月を日と云が如し、學者大に恐るべし。

其鄙俗を其まま用て卻て面白く情も深く、風雅の語よりまされること有り。是は事により場によることにて、卻て村巷里俗の語にて、其感情を含む。凡そ詩には甚嫌ふことなり。或は子夜歌、竹枝、曲抔の如きは、元來民間兒女の語なる詞故、語は知らぬ筈なり。其俚俗を以て僞り飾りも無く眞情を言のべたる処、雅語を以てかざりこしらへて作りたてたる後世の士大夫、大儒先生の作より、遙に感慨も深く、鬼神も泣かしむべし。故に詩經の内にも、「毋我梁。毋我笱」と云ひ、「莫使厖也吠」と云ふ類ひ、日本萬葉の歌にも、其時の民間の俚語多し。

畢竟詩は人情の聲なれば、天誠自然の眞情をうつしたる所を詩とす。本は雅俗の論は無きことなれども、雅なればききよろしく、俗なればきき惡き故、雅を好み俗を嫌ふ故、三百篇九分は雅にて、俗にて面白き所は一分ならてでは無し。唐詩も然り。しかるを樂天、詩ごとに俗に作らんと欲するは、大なる誤なるべし。都(すべ)て詩歌に限らず。雅正は常なり。たまたま俗にて面白き趣あること世に多し。

去りし享保初、京師に遊びたりしに、八瀬と云ふ村路を過ぐ。路傍の民舎に婚姻の酒宴ありと覺へて、人々車座に竝居て、何やらん杯盤とり散じて酒宴す。其酣(たけなは)なるに臨みて、是を聞ば、濱松の音と謠ひ、三國一とわめきて、笑語喧く、興に入たる體なりき。京近き田家なれば、今少風雅なるはやり歌等も、謠ふべきに、かかることは、さすが田家なりと、伴ひたる人など笑ひあへり。某は然らず。獨田家質素の古風かくこそと、甚た興をなせり。是等は、其場にては、絲竹管弦ことごとしく調子を叶へ、當時はやる一曲を音あやなし。子細らしく謠ひかなでたらんには嘔噦(おうえつ)を發すべし。濱松の音は春鶯囀にもまさり、三國一は太平樂にも過ぐべし。是れ所レ謂風なり。俗には非ず。故に詩は風雅の道なりと云り。

俗と云は、ふつつかにうち付言ふ詞、又聞ていやしき詞、見て見苦しき類、皆俗なり。詩に限らず、琴棋書畫の類も皆雅事なり。先畫に付て云ば、譬へば、山水の繪に山家田家の景を畫くに、いかに實事なりとて、雪隱、積み肥、或は竈等を繪がきては、甚いやしかるべし。人物を繪がくに、いかに有る物なりとて尻の穴陰物を繪がきたるは、甚尾籠なるべし。從へあるべき物も、雅事にはこれをよけて、雅なる所をえがき、卑俗の所は繪かざるべし。世の詩人と云ふ人を問へば、實事を賦すとて、雅ならぬ俗事俗言を賦する。以の外の義なり。此義をわきまへて、雅俗の品を知るべきなり。

さて其雅俗の内に事の雅俗あり、字の雅俗あり、趣の雅俗あり。先づ事の雅俗とは、讐へば絲竹、管弦、琴棋、書畫、漁獵、酒宴の類は皆雅なり。或は雜劇、放下、踏歌、茶湯、米錢、賣買等皆俗なり。是等の雅事をえらみ、俗事を去べし。字の俗とは、譬へば、中華の俗字、乍麽、東西、家(人べんに火)、這箇等の如き、日本の俗字、夕立、村雲の字の類より、地名の五十鈴川、久保田、又は小夜、狹衣等、其餘人の名、物の名、諺語等、皆俗事なり。例ひ華語にても、書簡の語、小説の語等皆俗字なり。此境よくよく辨じ用ゆべし。

趣の俗とは、趣向の卑劣なるを云ふ。縱へば、唐詩に、「捲荷乍被微風觸、瀉下清香露一杯」と云へる句作りは、さまで惡からねども其趣向の云ふ所、荷の葉が風に吹れて、たまりたる露を、さらさらと杯より酒などを瀉すが如く、散りたりとの趣向、五七歳の小兒などの、「銀になれ錢になれ」などとて、戯れ弄ぶに近く、鬚くいそらしたる丈夫などの云ふべき趣向にあらず。あやしきこと也。

又杜詩に、「老妻畫紙成棋局、稚子敲針作釣鈎」年よりのかか、紙に、罫を引て棋盤をこしらへて慰み、小兒どもの、石にて針をたたきゆがめて、鈎に作るなど、一篇の詩、「長夏江村事々幽」なりと云ふことを作りたる體、尤もさもあるべきこと、村家の常景ながら、いかにしても、甘きことにて、然も句作りひらたく、傳奇の詩の如く、甚卑劣也。此の老若き比は、「朝罷香烟攜滿袖、詩成珠玉在毫」などと云ひ、又「棋局動隨幽澗竹、袈裟憶湖船」など云ば、事も雅に句も勝れて、雅なりしが、年老ひ家貧して、久しく蜀中の村民に交り、いつとなく、雅趣雅言を失ひ、かかる卑俗の句を作れる者なり。

これより後、白樂天、張籍が徒より宋朝に至り、あらゆる俗趣を工なりとし、東坡に至りて、又專ら飮食のことのみ言ふ。卑陋の中の尤卑陋なること、可レ惡可レ咲、後世詩學者、此義をよく明らめ、痛く俗を去ること、詩病醫方の第一義なり。

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