漢詩作法入門講座

==========
==========
本コンテンツでは、JavaScript機能を有効にしてください。
JavaScriptが無効な場合、正常に表示できない可能性があります。

ホーム > 詩話を読もう > 詩學逢原 > 詩有境趣(2)

詩有境趣(2) - 詩學逢原

詩有境趣 (詩に境趣有り)

趣を前にして境を後にする法(三體詩前虛後實の式)

千金欲買呉州畫。今向呉州畫裏行。(二句趣)
小雨半収蒲葉冷。漁人歸去釣船横。(二句境)

千金買んと欲す呉州の畫。今呉州畫裏に向て行く。
小雨半ば収りて蒲葉冷か。漁人歸り去て釣船横ふ。

此意は、昔呉州山水の面白き畫を見て即千金を出し買ひ置しが、今始めて呉州に來て、直に其の山水を見れば、彼買ひたる畫の中に向て行かと疑がはる。さてさて面白き風景なりと、我心の趣を叙て、さて其面白き景はと言ば、拆節小雨一霎ふりとほりたるが、半は晴れ、半は殘りて、蒲葉の露も、またかはかぬ冷かなる時節、浦々より出たる漁人は、夕陽の比なれば、皆かへりて浦口の遠き烟などの中に、釣船ののりすてたるありさま、全く彼の畫にかはらず。畫も畫なり、景も景なりと、勝劣なき意をこめたり。

四句皆趣にて境を内に含む法(三體詩四虛の格也)

昔年曾見此湖圖。詎識人間有此湖
今日乍從湖上過。畫工還欠工夫

昔年曾て此の湖圖を見る。詎ぞ識らん人間此の湖有るを。
今日乍ち湖上從り過ぐ。畫工還て工夫を著るを欠く。

是れ西湖に至りて作る。其意は昔西湖の圖を見たることあり。其時思ふには、餘り勝れたる景物なれば、人間よもやかかる絶景の地はあるまじ。是は畫工のそらごとならんと思ひしに、今日不思義に、西湖に來りて、湖上より過るとて、直に眺望すれば、昔畫圖にて見たるは物かは、さてさて勝れたる風景、言棄に及ばず。然れば、昔し見たりし畫は其かき手の畫工が、工夫を著る所まだたらざりし者をと、畫を引下げ、景を引上げ、全篇境は一字も言はずといへども、萬境皆こもれり。是まで景と繪とをくらべたる趣向、一とほりにて、或は繪をほめ或は景をほむ、作例も四式にかはる格を示す。

此の西湖の詩は、日本より中華へ使にゆきたる人の作なり。本と田汝成が煕朝樂事と云書に、これを載せて云、「正德の間、日本使者、經西湖詩云云、詩語雖俳、而羨慕之心、聞于海外久矣と云へり(正德の間、日本使者、西湖を經て詩を題す、云云、詩語俳なりと雖も、羨慕の心、海外に聞へて久し矣と云へり)」。近年麯頭陀傳(きくづだでん)と云る書、清朝の人の作にてわたれり。内に又此詩を載て云く、「西湖觀音閣、題咏甚多、惟此詩爲絶唱(西湖の觀音閣、題咏甚多し、惟此の詩絶唱と爲す)」と云へり。惜きかな、作者の名知れざること、想ふに、五山使僧の作なるべし。田汝成評して語俳なりと云ふは、甚當れり。全篇言ひおほせたる所甚だ巧者作固(まこと)に絶唱なり。少おどけたるに似たる故に、俳なりと云ふ。しかしながら、日本の手柄なれば、いらぬことなれどもこれを記す。

四句皆境にて趣を含む法(即四實の格也)

千里鶯啼緑映紅 水村山郭酒旗風 南朝四百八十寺 多少樓臺煙雨中

千里 鶯啼ひて緑紅に映ず 水村 山郭 酒旗の風 南朝 四百八十寺 多少の樓臺 煙雨の中

秋林返照散孤烟 秋水涵虛混碧天 飛盡寒鴉江漠漠 青山一黠白雲邊

秋林の返照 孤烟に散ず 秋水虛を涵して 碧天に混ず 飛盡す 寒鴉 江漠漠 青山 一黠 白雲の邊

右の詩意は、よくきこえたり。四句皆境をつらねて、一字も趣はのべず、然ども自然と畫の姿一篇にあらはる。此れ詩中の畫とも云べし。有聲畫とも云べし。畫と景との勝劣を云はねども、直に山水の畫なり。

以上七言絶句を以て格式を示す。五言絶句も 此格に同じ。五七言律詩は、右の格二句を一句として見れば、是亦同じ。但し律詩は、其格見易く又作り易し。三體詩にて見れば、よく分る故、ここに記さず。

右皆唐詩の章法なり。古風の作り方は、又一種の格式なり。其長篇は又一種なり。其法、文をかくと同じ。頓挫抑揚浪瀾起伏等の勢あり。初學の學び難きこと故、今ここに略す。尚別に記すべし。

詩學逢原 卷之上 終

==========