漢詩作法入門講座

==========
==========
本コンテンツでは、JavaScript機能を有効にしてください。
JavaScriptが無効な場合、正常に表示できない可能性があります。

ホーム > 詩話を読もう > 詩學逢原 > 詩有境趣(1)

詩有境趣(1) - 詩學逢原

詩有境趣 (詩に境趣有り)

誌は境趣の二つより外の形は無き者なり。千變萬化と雖(いへども)、此二つに出ること無し。先(まづ)境とは、境界なり。景色なり。凡(およそ)人の目に觸れ、耳に聞き、身に覺ゆるたぐひ、天地日月風雨雪霜寒暑時令より、山河草木禽獸蟲魚に至り、漁樵耕牧管絃歌舞綺羅車馬等、都て我身より外の境界、皆是をつづめて境とす。趣とは意趣向なり。我心に思ふこと、知ること、思ひ出すこと、思ひやること、樂むこと、凡(およそ)心の用、皆名付て趣とす。三體詩には、境趣を實虛とす。形の現に在ると、形の見えざるとを以て分てり。其名變れども、實は同じ。

(およそ)詩は、自ら懷を述べ、自ら物を咏じ、人に作りて贈り、人の贈るに答るとても、皆目前の景氣、又は昔の景氣か、又は餘所の景氣か、ここの景か、山水花鳥は勿論、宮殿樓閣舟車坐臥の處、何にても、其境に對せざれば、作り出すべき様なし。又其境に觸れて作ると雖(いへども)、つまりは、我心の感ずる趣向に止ることなれば、右の通り、境趣二つは、詩の全體をすべくくりたる者なりと、先かく主意をくくりおき、さて作り出す時、境と趣と中分づつ五分五分に出來るもあり、境八分趣二分、境二分趣八分、或は境一分趣九分、趣一分境九分に出來るもあり、全篇皆境なるあり、全篇皆趣なるあり。是其作る時に、かく分量配當して作るには非ず。作りたる跡にて見れば、其形右の如く、境かちたるあり、趣かちたるあり、境趣等分なるあり、境と趣と錯亂雑沓すること、曾て無きことなり。

其分量の配當は、初學は、其作式をよく見覺え作り習はば、五十首百首程の内には、大慨きつかけは、覺える者なり。此を能(よく)おぼえて後は、かく合せんと思はずとも、自ら分量加減よき程に出來ることなり。初學此習ひを知らず。自分の了簡にて、口に任せて作出す故に、一篇一首の法立ず、これを聞けば、譫語(せんご)妄言を聞く如くにて、詩にはならず。其分量尺寸の内に又習ひありて、或ひは境より趣へ、うつるつたひ路きるれば縁なく、趣より境へかよふ所の語勢隔れば、つこどなく聞ゆる類、或は二三字のあつかひにて繋(つなぎ)切れず、或は一二字の虛字にて縁つづく仕方等、猶此上に有り。先(まづ)其境趣分量の大法を示さんが爲めに、左に記すること然り。

三體詩の一書は、全く此境の實と、趣の虛とを、つり合せて作る法を示したる書なり。人此書の主意をば、そこそこにして、詩の意を穿鑿し、半夜の鐘にばかりも、多説紛々たるは、甚しき心得ちがひ見ちがひなり。本書唯前虛後實、前實後虛等の法を立る爲め、其格に合たる詩を載せたり。故に七言の内には、ことの外宜しからざる詩もあり。詩意のせんぎも、事ついでにはあるまじきに非ずといへども、周伯弼三體詩を選る本意は、此に在て彼にあらず。此下の法も、三體詩にかはらずといへども、猶くはしく初學の曉(さと)りやすからんが爲めに、證詩を出してこれをしらしむ。

七言絶句作例

境句中に趣を含むは第一なり。然(しかれ)ども是は一句一聯のことなり。全篇四句八句の如きは境趣を分ちて作ること宜し。先(まづ)絶句、譬へば山水の風景を玩(もてあそ)びて其勝れるを繪に比して、いづれか勝れると作るときは、其風景は境なり。畫に比して勝劣を論ずるは吾が趣なり。今此一趣向に就(つい)て諸例を知らしむ。

境趣中分法(但し三體詩の前實後虛なり)

枯松倒影半溪寒。數个沙鷗與水安。(二句境)
曾買江南千本畫。歸來一筆不看。(二句趣)

枯松影を倒にして半溪寒し、數个の沙鷗水と與に安し。
曾て江南千本の畫を買ふ、歸り來つて一筆看るに中らず。

此詩は、松の影、溪流のすめるにうつり、鷗の安樂に水に泛び遊ぶ景と、とかくえも言れざる絶景なりと、先境を言ひ、さて、それにつき、前方我山水畫を好み、江南山水の畫を百千軸買ひととのへ、上もなき景なりと樂みしに、今此處の實景、右に言ふ如くなるを看てかへり、彼の多くの畫を取出して較(くらべ)みるに、一筆も此景に似て看るべき畫無し。さてさて勝れたる風景かなと嘆美す。「不中看」とは、見るにたらぬ心。

境三句趣一句法

水濶天長雁影孤。眠沙鷗鷺倚黄蘆。半収小雨西風冷。(三句倶境)
藜杖相將入畫圖(一句趣)

水濶く天長くして雁影孤なり。沙に眠る鷗鷺黄蘆に倚る。
半ば小雨を収めて西風冷か。藜杖相將ひて畫圖に入る。

此意は、大湖に臨み眺望すれば、水は廣く天は遠く、打ひらきたるに、雁の只一つかすかに飛(とび)わたりて、影の水にうつりたるてい、遠景先面白し。又近く見れば、鷗鷺の類、枯蘆に倚て眠るてい、遠近全く畫かと怪まる。時に村雨一霎(いつせふ)、さつとふりとほりたる跡に、西風のひやひやと吹過る時節の面白さ、我いかでか興に乗ぜざらん。即ち杖藜を引て湖邊へ出れば、畢竟名筆の畫の中へ、我身は入たるかと覺ゆと、上三句を下一句にて結ぶ。

是上三句皆境下の趣只一句輕重あるに似たり。然れども上三句、一は遠景、一は近景、一は時節とかたづけおき、第四句にて、總くくりをしめたり。此法珍しき法なり。三體詩には此法なし。

==========