漢詩作法入門講座

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詩語常語取義(2) - 詩學逢原

譬へば、人を招き請ずるの、一事に就て言ふ時は、其招き呼ばんと思ふは情なり。其情を述るに、雅語あり、俗語あり、先俗語は常語なり。其趣手紙を以て云ひやる、

「今日御隙に於ては、御出待入候」。是趣意なり。少し品を著れば、或は「雨中徙然に候問」とか、或は「庭前花盛に開き候間、一樽勸め度候」などの類品々有るべしといへども、畢竟俗間の常語にて、さして面白き詞と、賞玩すべきにもあらず。又感情なりとて、人を動かすにも非ず。唯是世上の用事をたすまでなり。是を常語の俗とす。

右の趣を、少しこはして、書柬にて云つかはすとても、文字華風になるまでにて、詞はきまりて、板におしたる如く鄙し。其詞はたとへば、

即辰敬陳、小酌奉屈、文駕過叙、伏冀惠顧勿辭。

即辰敬て陳ぶ、小酌奉屈す、文駕過叙、伏して冀くば惠顧辭すること勿れ。

右のとほりに、少々の文字の、入替はあれども、大抵此類なり。是亦華の常語なり。

右の語、あまり常語にて俗なれば、少し詞を雅に作ときは、左の如し。

東坂與姜唐佐書簡
今日霽色尤可喜、食已當天慶觀乳泉健荼之精者、念非君莫共之、然早來市無肉爼、當與啖菜飲(一レ)酒耳、不嫌可只今相過

東坂姜唐佐に與る書簡
今日霽色尤も喜ぶ可し、食已んで當に天慶觀の乳泉を取て健荼の精者を潑すべし、念ふに君に非れば之を與に共にすること莫し、然れども早來市に肉爼無し、當に與に菜を啖ひ酒を飲むべきのみ、嫌はず只今相過る可し。

右は和文、又華の常式の書柬に比すれば、少し風雅なれども、やはり華の常語なり。

右の三様にて、和漢常語の體を知るべし。

さて右の趣を詩にて云つかはす時、右の常語は、少も用ひられぬこと故、詩の語にて作りたて、云つかはす其詩に云ふ。

今日好風景。野庭花鳥繁。請君有餘暇。吟杖扣柴門

今日好風景。野庭花鳥繁し。請ふ君餘暇有らば。吟杖柴門を扣け。

如此(かくのごとく)言ひやるほどに、前の書柬常式の俗語とはちがひ、面白く風流なること哉と、目のあかぬ素人はもてはやして詩なりと思へり。大きにちがひたることにて、此詩も、字字皆詩にて用る字にて作れる故、右三様の鄙俗の常語には非ずといへども作り様の語勢、取りもなほさず、即常語なり。

知人は只文字さへ詩の文字なれば、詩なりと思へり。さには非ず。縱(たと)ひ荊山の美玉も、拙工のおさめたらんには、精工の石にも劣るべく、蜀川の美錦も、賤工の縫裁したらんには、好手の羅綾にもまさらざるべし。字は詩に用ゆる好文字にても、拙工の作り方鄙俗なる故、全篇の語勢が、直に凡俗の常語なり。何となれば、此詩を試に解釋せんに、言心は今日天氣も好く、折節庭前に花も盛に鶯なども快く囀づり、黙し難は此節なり、其許(そこもと)御隙に候はば、道すがら詩を吟じて杖をつき、我柴門を扣きたまはば大慶すべしと、述たる語勢が、文字こそちがへ、前の書狀の常語なり。字の常語と句の常語あること世これを知る人無し。然れば、右の詩は、先づ世上一通りの好詩と云者にして、實は詩に非じ。常語なり。

しかれば、右の趣もきこえ、常語にもならぬ詩と云ふ者は、いかが作りてなることぞといへば、

春雨早已浹。吟牀且獨坐。莓苔深數寸。履痕誰踏破。

春雨早已に浹し。吟牀且獨坐す。莓苔深きこと數寸。履痕誰か踏破せん。

此作るときは招くことの本體へは少もさはらず、惟春雨寂寞、獨坐無伴の意を述、春雨久しき故、庭上の莓苔も數寸茂りたれども、誰問ふ人も無ければ、履痕の苔を破るも無ば、甚無聊なりと迄言ひて、あはれ訪ひ來たまはば、いかばかり悦ぶべしと言ふ意は言外に含めり。是文字も詩詞を用て、常語の字にあらず。語勢も詩語の勢尤勝れて、意味淺からず、如レ此作り得て、始て詩と云ふ者になるなり。初學此心を熟得すべし。唐人の妙工、皆此手段より出たる者なり。猶此上に最大乘の第一義と云ふは、詩法悟徹の場にて、初學の及ぶべきに非ずといへども、姑く其例を示すこと左の如し。

右の一首すでに詩中の門に入りたる者にして、これをよく作り習へば、詩の事終に近し。然れども、これ猶履痕莓苔を踏破する所に招き請の縁いまだきれず。今一きはすぐれたる、招の字を忘れて、しかも言外にあらはるる者なり。是を影寫の手段とも、水月風影とも、鏡花とも、稱して詩中第一義諦ここにあり。

酒有花易春。半爲風雨半爲塵。今日晴明若不飲。花落鳥啼亦笑人。

酒有り花有り春に負き易し。半ばは風雨と爲り半ばは塵と爲る。今日晴明若し飲まざれば。花落ち鳥啼ひて亦人を笑はん。

此意は、初二句に春の空く過ぎ易きことを云、次に今日の晴景に打より遊宴せずんば、花鳥も我を笑ふべし。必來り遊ばれよと云意外にもたせたり。一篇の表、客を招くことは少しも云出さずといへども、春を惜む意の内、自然と其意を含むこと所謂影寫の手段、甚勝れたる所、よくよく玩味すべし。凡詩を學ぶ人、最初より如レ此妙處には至るべきに非ず。前に載する第一首より作り習ひ、次第に功を積て、比妙處に至ることなり。爰に至て詩道終る者なり。

附り

前に謂ふ、斷章取義の妙用と云こと、只三百篇に限るにあらず。後世の詩、今人の詩にても、高妙の作は、皆斷章取義すべし。是人の知らざる詩の妙用なり。外の詞は、たとへ聖賢の格言妙論にても、外の事には用ひられず。偶其理の旁通することはあるべし。千變萬化聞く人の感に從ひ、用ゆる人の義に因て、自由自在につかはるることは、只詩のみ。其内上手の詩ほど、其用の通ずる所弘し。今の詩とても、相應に取義はある也。此詩も初の二句の本意は、世上樂しむべき酒もあり、愛すべき花も春に至ればいづくにも有れば、賞翫さへすればならぬと云には非ずといへども、人間のありさま、大方は、塵事に礙(さまたげ)られ或は雨風に阻られ、空しくつい當年の春もうかうか過し易きと云ふ意、詩人の趣向如此。

しかるを讀人の見解によりて、「有酒有花易春」と如此見るなり。詩の本意は「有酒有(リトモ)花」とよむ心なり。後の見やうは、凡人生の事足ると思ひて油斷すれば、たらざる者には、おとること必あるものなり。花も庭前に無く酒も買ふべき錢なき輩は、結句諸方の花を尋ね、衣を典て酒を沽ひ、急に遊賞をもなす故、天氣も人隙もよき間に春を賞ず。世の金銀富饒の人、又庭樹も多くたくはへたる人などは、いつもなることと思ひ、うかうか暮す程に、或は風雨にささへられ、或は疾病事故の障り有りて、一春の風光遂に負き過ごす。「有花有(レバ)酒易(シ)(キ)(ニ)」とは、尤なることかなと感ず。

末の二句も、作者の本意は、春を惜む意なるを、人は物事能愼べきことなり。晴景に遊賞せざる人をば、花鳥さへ笑ふと云へり。況や不善を行ひ無能にくらす者、人の笑は勿論なりと感ず。上手の詩ほど感情深く、取義も一入(ひとしほ)面白くこもる。然れども、詩毎(ごと)に、必ずかく有るにもあらず。又強て心を付、感じ出すにも非ず。吟誦の餘、自然と其感發すること天上の月は一輪にて、水澄む所は、千川萬川箇々皆月を得るに同じ。是詩を學ぶ法にて、詩を作る時に、かく心得て作るには非ず。只此一條は常語を去り、雅語を用ることを示す次手(ついで)なれば、取義をも附録するのみ。

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