漢詩作法入門講座

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三体詩-七言絶句-虛接(1) - 漢詩の鑑賞

虛接

【原文】

周弼曰。謂第三句以虛語接前二句也。亦有語雖實而意虛者。於承接之間。略加轉換。反與正相依。順與逆相應。一呼一喚。宮商自諧。如用千鈞之力。而不見形迹。繹而尋之有餘味矣。

【読み方】

虚接(きょせつ)

周弼(しゅうひつ)(いわ)く、第三句(だいさんく)虚語(きょご)を以(もっ)て前二句(ぜんにく)に接(せっ)するを謂(い)うなり。亦(また)、語(ご)は実(じつ)なりと雖(いえど)も意(い)は虚(きょ)なる者(もの)(あ)り。承接(しょうせつ)の間(あいだ)に於(お)いて、略(ほぼ)転換(てんかん)を加(くわ)え、反(はん)と正(せい)と相(あい)(よ)り、順(じゅん)と逆(ぎゃく)と相(あい)(おう)じ、一呼(いっこ)一喚(いっかん)、宮商(きゅうしょう)(おの)ずから諧(かな)い、千鈞(せんきん)の力(ちから)を用(もち)うるが如(ごと)くにして、形迹(けいせき)を見(あら)わさず、繹(のべ)て之(これ)を尋(たず)ぬれば余味(よみ)(あ)り。

伏翼西洞送人

原詩

「伏翼西洞送人(陳羽)洞裏春情花正開。看花出洞幾時囘。慇懃好去武陵客。莫引世人相逐來。」

【作者】

陳羽(ちんう)=生没年未詳。中唐の人。

【詩形】

七言絶句 仄起式 上平声灰韻

【読み方】

伏翼(ふくよく)の西洞(せいどう)に人(ひと)を送(おく)

洞裏(どうり)の春情(しゅんじょう) 花(はな)(まさ)に開(ひら)き。花(はな)を看(み) 洞(どう)を出(い)でて 幾時(いくとき)か回(かえ)らん。

慇懃(いんぎん)に 好(よ)し去(さ)れ 武陵(ぶりょう)の客(かく)。世人(せじん)を引(ひ)いて 相(あい)(お)い来(きた)ること莫(なか)れ。

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【語 釈】

伏翼西洞=未詳。注に「潼川府路の長寧軍の冷水渓の上に小桃源有り、伏翼の西に在り」とあり。潼川府路長寧軍は、現在の四川省長寧県あたり。洞裏=洞の中。春情=春ののどかな心。ここでは春の気配をいうのであろう。幾時囘=いつ戻って来られるのだろうか。囘は、かえる、もどる。慇懃=ねんごろ。ていねい。好去=無事に行かれよとの意。武陵客=「桃花源記(陶淵明)」の故事を用いた喩え。世人=俗世間の人々。

「三体詩評釈(野口寧齋著)」に「伏翼の西、小桃源有り。曾て人有りて一銅牌を拾う。詩を鐫して云く『綽約去朝真。仙源万木春。要知窈桃客。定是会稽人。』、故に此の詩も亦総て桃源を以て相擬す。曰く洞裏花開、曰く看花出洞、曰く武陵客、曰く引世人來、皆然らざるは無し。」とあり。

「桃花源」 陶淵明

晉太元中、武陵人、捕魚爲業。縁溪行、忘路之遠近。忽逢桃花林、夾岸數百歩、中無雜樹、芳草鮮美、落英繽紛、漁人甚異之。復前行、欲窮其林。林盡水源、便得一山、山有小口、髣髴若有光。便舎船、從口入。初極狹、纔通人。復行數十歩、豁然開朗。土地平曠、屋舍儼然、有良田美池桑竹之屬。阡陌交通、鷄犬相聞。其中往來種作、男女衣著、悉如外人。黄髮垂髫、並怡然自樂。見漁人、乃大驚、問所從來。具答之、便要還家、設酒殺鷄作食。村中聞有此人、咸來問訊。自云、先世避秦時亂、率妻子邑人來此絶境、不復出焉、遂與外人間隔。問今是何世、乃不知有漢、無論魏晉。此人一一爲具言所聞、皆歎惋。餘人各復延至其家、皆出酒食。停數日、辭去。此中人語云、不足爲外人道也。既出、得其船、便扶向路、處處誌之。及郡下、詣太守、説如此。太守即遣人隨其往、尋向所誌、遂迷、不復得路。南陽劉子驥、高尚士也、聞之欣然規往。未果、尋病終、後遂無問津者。

「晉の太元中、武陵の人、魚を捕うるを業と為せり。渓に縁いて行き、路の遠近を忘る。忽ち桃花の林に逢う、岸を夾みて数百歩、 中に雑樹無し。芳草鮮美として、落英繽紛たり、漁人甚だ之れを異とす。復た前に行き、 其の林を窮めんと欲す。林水源に尽き、 便ち一山を得、山に小口有り、髣髴として光有るが若し。便ち船を舎てて、口従り 入る。初め極めて狹く、纔かに人を通すのみ。復た行くこと数十歩、豁然として開朗。土地平曠として、屋舍儼然たり、良田美池桑竹の属有り。阡陌交も通じ、鶏犬相聞ゆ。其の中に往来し種え作すもの、男女の衣著、悉く外人の如し。黄髮髫を垂るも、並に怡然として自ら楽しむ。漁人を見て、乃ち大いに驚き、從って来る所を問う。具に之に答え、便ち要えて家に還える、酒を設け鶏を殺して食を作る。村中此の人有るを聞き、咸な来りて問い訊ぬ。自ら云う、先の世秦時に乱を避れ、妻子邑人を率いて此の絶境に來たりて、復たとは焉を出ず、遂に外人と間隔つ。今は是れ何れの世なるかを問う、乃ち漢有るを知らず、無論魏晉をや。此の人一一為に具に聞かるる所を言えば、皆歎惋す。余人各の復た延いて其の家に至り、皆出でて酒食す。停ること数日にして、辞去す。此の中の人語りて云く、外人の為に道うに足らざるなりと。既に出で、其の船を得、便ち向の路に扶りて、処処に之を誌す。郡下に及び、太守に詣り、此の如く説く。太守即ち人を遣りて其の往けるところに随いて、向に誌せる所を尋ねんとするも、遂に迷いて復たとは路を得ず。南陽の劉子驥、高尚の士なり。之を聞き、欣然として往くを規つ。未だ果たせずして、尋で病に終る、後遂に津を問う者無し。」

題明慧上人房

原詩

「題明慧上人房(秦系)簷前朝暮雨添華。八十呉僧飯熟麻。入定幾時還出定。不知巢燕汚袈裟。」

【作者】

秦系(しんけい)=生没年未詳。中唐の詩人。字は公緒。自ら東海釣客と称し、また南安居士と号す。

【詩形】

七言絶句 平起式 下平声麻韻

【読み方】

明慧上人(めいけいしょうにん)の房(ぼう)に題(だい)

簷前(えんぜん) 朝暮(ちょうぼ) 雨(あめ)(はな)を添(そ)え。八十(はちじゅう)の呉僧(ごそう) 熟麻(じゅくま)を飯(はん)す。

(じょう)に入(い)りて 幾時(いくとき)か 還(ま)た定(じょう)を出(いで)ん。知(し)らず 巣燕(そうえん)の 袈裟(けさ)を汚(けが)すことを。

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【語 釈】

明慧上人房=未詳。上人は、徳の高い僧の尊称。房は僧房のこと。「題僧明惠房」と題すものあり。簷前=のきさき。朝暮=朝と暮れ。八十=八十歳。呉僧=呉地方出身の僧。熟麻=胡麻。黒胡麻は軽身、不老の効果があると言われている。巨勝ともいう。入定=禅定に入ること。禅定とは、精神を集中し、静かに真理を考える境地にはいること。出定=入定の反対。巢燕=軒先などに巣をかけた燕。袈裟=僧の衣服。

「三体詩評釈(野口寧齋著)」に「山中暦日無し、花開けば天地春なり。上人八十にして、胡麻を飯す、是れ真に出世間的の光景なり。転句は承句より出て、結句は起句より出ず。昔者、仏雲山に入りて苦行す。蘆芽は膝を穿ち鵲は其の肩に巣すれども厭わず、燕泥の袈裟を汚す。上人の心を動かすに足らざるや知るべし。燕子は春雨山花の時候に接して、巣字は更に簷字に切なり。」とあり。

寄許錬師

原詩

「寄許錬師(戎昱)掃石焚香禮碧空。露華偏濕蕊珠宮。如何説得天壇上。萬里無雲月正中。」

【作者】

戎昱(じゅういく)=(744年〜800年)。中唐の詩人。 李益の作とするものあり。李益(りえき)、(748年〜827年)。中唐の詩人。字は君虞。

【詩形】

七言絶句 仄起式 上平声東韻

【読み方】

(きょ)錬師(れんし)に寄(よ)

(いし)を掃(はら)い 香(こう)を焚(た)いて 碧空(へきくう)を礼(れい)す。露華(ろか) 偏(ひとえ)に湿(うるお)う 蕊珠宮(ずいしゅきゅう)

如何(いかん)ぞ 説(と)き得(え)ん 天壇(てんだん)の上(うえ)。万里(ばんり) 雲(くも)(な)く 月(つき)(まさ)に中(ちゅう)すを。

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【語 釈】

許錬師=未詳。錬師は、道士の修行する人の尊称。掃石焚香禮碧空=『国訳三体詩』に「太乙星を祀り以て道を修するが道士の法、而して清浄梵行、汚るるを嫌う」とあり。露華=光っている露。蕊珠宮=天上にある仙宮。天壇=山名。増注に「河東南路平陽府の北の界に在り」とあり。天壇山は、道教において「天下第一洞天」と称される王屋山(河南省済源市)の主峰、標高は1,715メートル。如何説得=如何は反語。どうして説明できようか、いや説明等できないの意。月正中=月が真南にくる。

「三体詩評釈(野口寧齋著)」に「錬師天に事え、夜々碧空を礼す事已に清絶なり。碧空直ちに承句を滾下す。掃石焚香の余、露華漸く湿う。自ずから是れ山中幽閴の状、凡て夫の得て消受し得可き所に非ず。如何ぞよく之を説き得んや、万里雲無きは天も亦塵滓無きなり。月正中するは天も亦森蕭たるなり。以て起承二句を収結す。」とあり。

秋思

原詩

「秋思(張籍)洛陽城裏見秋風。欲作家書意萬重。復恐怱怱説不盡。行人臨發復開封。」

【作者】

張籍(ちょうせき)=(約767年~約830年)。唐代の詩人。字は、文昌。

【詩形】

七言絶句 平起式 上平声冬韻

【読み方】

秋思(しゅうし)

洛陽城裏(らくようじょうり) 秋風(しゅうふう)を見(み)る、家書(かしょ)を作(つく)らんと欲(ほっ)して 意(い)、万重(ばんちょう)たり。

(また)(おそ)る 怱怱(そうそう)にして 説(と)き尽(つ)くさざるを、行人(こうじん) 発(はっ)するに臨(のぞ)んで 又(また)(ふう)を開(ひら)く。

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【語 釈】

秋思=秋のもの思い。楽府題。洛陽=現在の河南省洛陽市。見秋風=風は東韻であるが冬韻に通用したもの、これを通韻と呼ぶ。張翰の故事をふまえる。「張翰は秋風の起きるのを見て、故郷の菰菜、蓴羹、鱸魚膾を思い出し、官位をなげうって故郷に帰った。」、蓴羹鱸膾の語あり。家書=家人に向けた手紙。萬重=いくえにも重なること。怱怱=あわただしいさま。説不盡=説は、仄字であるが入声の韻なので平用したもの。行人=旅人。臨發=旅立つとき。

「三体詩評釈(野口寧齋著)」に「洛陽城裏の四字、先ず、其の客旅に在るを点明す。風は聞くべくして見るべからず、物に因って其の行くを見る。見字を下し得て妙なり。而して秋風は暗に張翰が帰を思うの意を寓す。同姓用事の妙を見るべし。二句以下は人人意中の語にして、往々之れ有るの事なり。却って一正一反、写し来たって平板ならざるは、其の真情流露して之を貫くが為なるのみ。岑参の馬上相逢と同一絶品なりというべし。臨發開封、緩慢殊に甚だし、怱怱の二字と呼喚して、手忙にして心更に忙なるの状、千載尚お新たなるが如し。説字入声、仮に平声に叶わしむ。必ずしも之を拗するにあらず。」とあり。

懷呉中馮秀才

原詩

「懷呉中馮秀才(杜牧)長洲苑外草蕭蕭。卻算遊程歳月遙。唯有別時今不忘。暮烟秋雨過楓橋。」

【作者】

杜牧(とぼく)=(803年〜853年)。晩唐の詩人。字は牧之。号は樊川。

【詩形】

七言絶句 平起式 下平声蕭韻

【読み方】

呉中(ごちゅう)の馮(ふう)秀才(しゅうさい)を懐(おも)

長洲苑外(ちょうしゅうえんがい) 草(くさ)、蕭蕭(しょうしょう)。却(かえ)って遊程(ゆうてい)を算(かぞ)えれば 歳月(さいげつ)(はる)かなり。

(ただ)、別時(べつじ)の 今(いま)に忘(わす)れざる有(あ)り。暮煙(ぼえん) 秋雨(しゅうう) 楓橋(ふうきょう)を過(す)ぎしを。

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【語 釈】

呉中=頭注に「蘇州の郡名なり」とあり。現在の江蘇省蘇州市あたり。馮秀才=馮は人名。未詳。秀才は、科挙の受験者をいう。長洲苑=注に「江水の洲を以て苑となす」とあり。現在の江蘇省蘇州市長洲区あたりをいうか。蕭蕭=ものさびしいさま。遊程=旅の道程。楓橋=江蘇省蘇州郊外にある橋の名。

「三体詩評釈(野口寧齋著)」に「起句は呉中の旧遊にして馮と同踪するものなり。歳月已に悠遠なり。遙字を下すが為に程字を嵌す。別に意有るにあらざるなり。而して歳月は已に悠遠なりと雖も、別時は忘るるに由無し。長洲苑外の外に於いて更に一楓橋を放出して、今字を以て歳月に緊応せしむ。」とあり。

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