漢詩作法入門講座

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三体詩-七言絶句-実接(18) - 漢詩の鑑賞

實接

【原文】

周弼曰。絶句之法。大抵以第三句爲主。首尾率直。而無婉曲者。此異時所以不及唐也。其法非惟久失其傳。人亦鮮能知之。以實事寓意接。則轉換有力。若斷而續。外振起而内不失於平妥。前後相應。雖止四句。而涵蓄不盡之意焉。此其畧爾。詳而求之。玩味之久。自當有所得。

【読み方】

実接(じっせつ)

周弼(しゅうひつ)曰く、絶句の法、大抵第三句を以て主と為す。首尾率直にして婉曲(えんきょく)無きは、此れ異時の唐に及ばざる所以なり。其の法は、惟久しく其の伝を失うのみに非ず。人亦能(よ)く之を知ること鮮(すくな)し。実事を以て意を寓して接するときは、則ち転換力有り。断ゆるが若(ごと)くにして続き、外は振起(しんき)にして内平妥(へいだ)たるを失わず。前後相(あい)(おう)ず。四句に止むと雖(いえど)も、而(しか)も不尽の意を涵蓄(かんちく)す。此れ其の略のみ。詳(つまび)らかにして之を求め、玩味することの久しく、自(おのずか)ら当(まさ)に得る所有るべし。

送元二使安西

原詩

「送元二使安西(王維)渭城朝雨浥輕塵。客舎青青柳色新。勸君更盡一杯酒。西出陽關無故人。」

【作者】

王維(おうい)=(699〜759)。盛唐の詩人。字は摩詰。王右丞とも呼ばれる。李白が詩仙、杜甫が詩聖と呼ばれるのに対し、詩仏と呼ばれ、画についても、『南画の祖』と仰がれている。

【詩形】

七言絶句 平起式(拗体) 上平声真韻
西

【読み方】

元二(げんに)が安西(あんせい)に使(つか)いするを送(おく)

渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう) 軽塵(けいじん)を浥(うるお)し。客舎(かくしゃ) 青青(せいせい)として 柳色(りゅうしょく)(あら)たなり。

(きみ)に勧(すす)む 更(さら)に一杯(いっぱい)の酒(さけ)を尽(つ)くせ。西(にし)のかた陽関(ようかん)を出(い)ずれば 故人(こじん)(な)からん。

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【語 釈】

元二=未詳。二は、排行。安西=注に「安西の都護府、亀茲に在り」とあり。亀茲(きゅうし)は、現在の新疆ウイグル自治区アクス地区クチャ県付近。渭城=西安市の北、現在の渭城区。陝西省咸陽市に位置する市轄区。都を離れる旅人を見送る地として有名。客舎=やどや。旅館。客亭に同じ。青青=青々としたさま。柳色新=楽府題に別離の曲として「折楊柳」あり。また、唐代には、友人知人が遠方に旅立つときには、城外まで見送り、水辺の柳の枝を折り取り環の形に結んで贈る習慣があった。そのため柳はしばしば別離の意を表すのに用いられる。更盡=更字は、あらためるの意、初更、三更などの時間の単位のときは平字、そのうえ、かさねての意味に用いるときは仄字。西出=西の方角へ向かって。陽關=甘粛省敦煌市の南西にある関所の名称。現在は遺跡がある。もう一つの関所である玉門関より南に位置するため陽関と称された。玉門関と併せて「二関」と呼ばれる。無故人=辺境の地へ旅立てば、これより先、もはや友人もいないであろう意。故人は友人の意。

この詩、平起式であるので、本来転結の平仄は、

転句(●●○○○●●)
結句(○○●●●○◎)

でなければならい。しかし、実際には、

転句(●○●●●○●)
結句(○●○○○●◎)

となり、平仄式としては、仄起式の転結の平仄が用いられている。このような通常の平仄式に合わない変則的な詩を「拗体」という。

【滄洲私見】
作詩において、意識的に「拗体」の詩を作ろうとすることは忌避されるものと考える。あくまでも詩作の結果どうしても平仄を無理矢理合わせようとすると詩が台無しになってしまう場合、致し方なくできてしまった詩が「拗体」の詩であろう。

「三体詩評釈(野口寧齋著)」に「起句は眼前の実景を写し、承句は起句の意を発揮し来る。転結其の觴を勧むるは陽関以外已に故人無きが為なり。陽関已に故人無し。安西の遼遠なるは不言の中に在り、已に故人無し。這様の風物無きは亦言を待たず。其の意味の悠長にして露われざるもの、真に其の絶調たる所以なり。」とあり。

三月晦日贈劉評事

原詩

「三月晦日贈劉評事(賈島)三月正當三十日。風光別我苦吟身。共君今夜不須睡。未到曉鐘猶是春。」

【作者】

賈島(かとう)=(779〜843)。中唐の詩人。字は浪仙、または閬仙。

【詩形】

七言絶句 仄起式 上平声真韻

【読み方】

三月(さんがつ)晦日(かいじつ)、劉評事(りゅうひょうじ)に贈(おく)

三月(さんがつ) 正(まさ)に当(あ)たる 三十日(さんじゅうにち)。風光(ふうこう) 別(わか)る我(わ)が苦吟(くぎん)の身(み)に。

(きみ)と共(とも)に 今夜(こんや) 睡(ねむ)ることを須(もち)いず。未(いま)だ暁鐘 (ぎょうしょう)に到(いた)らずんば 猶(な)お是(こ)れ春(はる)

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【語 釈】

晦日=月の最終日。みそか、つごもり。劉評事=未詳。評事は官名。風光=春の景色。不須睡=眠らない。曉鐘=明け方の鐘の音。猶是春=夜が明けていないから、まだ春であるの意。

「三体詩評釈(野口寧齋著)」に「王弇州、此の詩及び客舎客舎幷州の雋妙なるは此の詩の得て望むべきに非ず。然れども、彼は巧を以て勝り、此は拙を以て勝る。其の拙亦及ぶべからず「野人自愛山中宿」と同じく、扑拙を以て巧意を喚出すものなり。而していう、九十の春光空しく別るるに忍びず、宜しく徹曉苦吟して、相負かざることを期すべしと、其の温藉にして平生に似ざるは、亦録すべきの作なるに背かずというべし。」とあり。

武昌阻風

原詩

「武昌阻風(方澤)江上春風留客舟。無窮歸思滿東流。與君盡日閑臨水。貪看飛花忘卻愁。」

【作者】

方澤(ほうたく)=未詳。宋代の人とする説あり。国訳三体詩によれば、此の詩唐風ゆえに誤って採録された旨の説明有り。

【詩形】

七言絶句 仄起式 下平声尤韻
滿

【読み方】

武昌(ぶしょう)、風(かぜ)に阻(はばま)らる

江上(こうじょう)の春風(しゅんぷう) 客舟(かくしゅう)を留(とど)め。窮(きわ)まり無(な)き 帰思(きし) 東流(とうりゅう)に満(み)つ。

(きみ)と尽日(じんじつ) 閑(しずか)に水(みず)に臨(のぞ)み。飛花(ひか)を貪(むさぼ)り看(み)て 愁(うれ)いを忘却(ぼうきゃく)す。

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【語 釈】

武昌=長江と漢水が合流する要衝。現在の湖北省武漢市あたり。留客舟=春の強風により舟が出せないことをいう。歸思=故郷に帰りたいという思い。東流=川の流れをいう。盡日=終日。飛花=春風に舞う花。

「三体詩評釈(野口寧齋著)」に「江上多風、舟すべからず。帰思独り江水と共に東流す。而して東流の二字、暗に泊舟の帰思と抵捂して無聊特に甚だし、ただ飛花雪の如く一天皆白きを看て、以て銷愁の具となすのみ。」とあり。

己亥歳

原詩

「己亥歳(曹松)澤國江山入戰圖。生民何計樂樵蘇。憑君莫話封侯事。一將功成萬骨枯。」

【作者】

曹松(そうしょう)=生没年未詳。晩唐の詩人。字は夢徴。

【詩形】

七言絶句 仄起式 上平声虞韻

【読み方】

己亥(きがい)の歳(とし)

沢国(たくこく)の江山(こうざん) 戦図(せんと)に入(い)り。生民(せいみん) 何(なん)の計(けい)ありてか 樵蘇(しょうそ)を楽(たの)しまん。

(きみ)に憑(よ)り 話(わ)すること莫(なか)れ 封侯(ほうこう)の事(こと)。一将(いっしょう) 功(こう)(な)りて 万骨(ばんこつ)(か)る。

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【語 釈】

己亥歳=879年。己亥は、干支紀年法による年の表記。干支紀年法は、十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)を組み合わせた60年周期とする年数の表記法である。六十干支、十干十二支、天干地支などとも呼ばれる。平成25年(2013年)は「癸巳」の年になる。

1甲子2乙丑3丙寅4丁卯5戊辰6己巳7庚午8辛未9壬申10癸酉
11甲戌12乙亥13丙子14丁丑15戊寅16己卯17庚辰18辛巳19壬午20癸未
21甲申22乙酉23丙戌24丁亥25戊子26己丑27庚寅28辛卯29壬辰30癸巳
31甲午32乙未33丙申34丁酉35戊戌36己亥37庚子38辛丑39壬寅40癸卯
41甲辰42乙巳43丙午44丁未45戊申46己酉47庚戌48辛亥49壬子50癸丑
51甲寅52乙卯53丙辰54丁巳55戊午56己未57庚申58辛酉59壬戌60癸亥

澤國=水の多い地方。江山=川と山。入戰圖=戦乱(黄巣の乱)になることをいう。注に「時に巣賊、江淮を乱す」とあり。生民=人民。何計=反語。何も手だてがない意。樵蘇=薪を拾うことと草を刈ること。封侯事=戦功により諸侯に封ぜられること。一將功成=一人の将軍が戦功をあげること。萬骨枯=万の数の無益な死。

「三体詩評釈(野口寧齋著)」に「己亥歳は僖宗乾符六年なり。此の歳黄巣襄陽に趨る。劉巨容曹全政兵を合して之を拒ぎ、大いに勝ち、追って江淮に至る。或は巨容に勧めて窮追せしむ。巨容笑って云く、賊を留めて富貴の資と為すに如かずと。衆乃ち止む。裴庾以て転結の指す所となす。蓋し此の詩の諷する所のもの二有り。江淮戦地、民業安んせず、是れ賊の亡びざるを憂うるなり。将軍功名を期して士卒の死を顧みず、是れ黷武の挙有るを憤るなり。詩格雄邁粗宕にして扶風豪士の風有り。蓋し此の種の詩、激して之を行る、以て諷す可く、以て詠ず可く、又以て聞く者をして戒むるに足らしめて能事畢る。詩品の高下を問うに暇あらざるなり。」とあり。

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