漢詩作法入門講座

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中 庸

『中庸』とは、中国古典の書名で、『四書』とは、その『大學』を含め『中庸』、『論語』、『孟子』という4種類の書物のことを呼びます。

詳しくは,フリー百科事典ウィキペディアの「中庸」の項目を参照してください。なお、その解説の一部を以下に引用しておきます。

現在「四書」の一つとして広く知られている『中庸』は、もともと『礼記』中の一篇、すなわち礼記中庸篇として伝えられてきたものである。司馬遷の『史記』では、中庸は子思の作であるとされており、これが通説となっている。

初めて『中庸』を表彰したのは南朝宋の戴顒(378~441)であるとされている。彼が『礼記中庸伝』を書いた。宋代になると、有名な学者、政治家などが次々と『中庸』の注釈を著した。司馬光、范祖禹、蘇軾、程顥、著名な人びとの専著は十指にのぼる。この中で、もっとも知られているのは朱子の『中庸章句』である。

本Webページでは、原文と訓読のみを掲載(素読)します。詳しい解説については、多くの書籍が市販されていますので、そちらの方をお読みください(滄洲書店でもお手軽なものを掲載しています)。

中庸章句序

中庸何爲而作也。子思子憂道學之失其傳而作也。

中庸(ちゅうよう)は何(なん)の為(ため)にして作(つく)るや。子思子(ししし)道学(どうがく)の其(そ)の伝(でん)を失(うしな)わんことを憂(うれ)えて作(つく)るなり。

蓋自上古聖神。繼天立極。而道統之傳。有自來矣。

(けだ)し上古(じょうこ)の聖神(せいしん)、天(てん)に継(つ)ぎ、極(きょく)を立(た)てし自(よ)りして、道統(どうとう)の伝(でん)、自(よ)りて来(きた)ること有(あ)り。

其見於經。則允執厥中者堯之所以授舜也。人心惟危道心惟微。惟精惟一。允執厥中者。舜之所以授禹也。堯之一言。至矣盡矣。而舜復益之以三言者。則所以明夫堯之一言必如是而後可庶幾也。

(そ)の経(けい)に見(み)ゆるは、則(すなわ)ち允(まこと)に厥(そ)の中(ちゅう)を執(と)るとは、堯(ぎょう)の舜(しゅん)に授(さず)くる所以(ゆえん)なり。人心(じんしん)(こ)れ危(あや)うく、道心(どうしん)(これ)れ微(び)なり。惟(こ)れ精(せい)(こ)れ一(いつ)、允(まこと)に厥(そ)の中(ちゅう)を執るとは、舜(しゅん)の禹(う)に授(さず)くる所以(ゆえん)なり。堯(ぎょう)の一言(いちげん)、至(いた)れり尽(つく)くせり。而(しか)して舜(しゅん)(ま)た之(これ)に益(ま)すに、三言(さんげん)を以(もつ)てするは、則(すなわ)ち夫(か)の堯(ぎょう)の一言(いちげん)、必(かなら)ず是(かく)の如(ごと)くにして後(のち)、庶幾(しょき)す可(べ)きことを明(あき)らかにする所以(ゆえん)なり。

蓋嘗論之。心之虛靈知覺。一而巳矣。而以爲有人心道心之異者。則以其或生於形氣之私。或原於性命之正。而所以爲知覺者不同。是以或危殆而不安。或微妙而難見耳。

(けだ)し嘗(こころ)みに之(これ)を論(ろん)ぜん。心(こころ)の虚霊(きょれい)知覚(ちかく)は、一(いつ)のみ。而(しか)るを以(もつ)て人心(じんしん)道心(どうしん)の異(こと)なること有(あ)りと為(な)す。則(すなわ)ち其(そ)の或(あるい)は形気(けいき)の私(わたくし)に生(しょう)じ、或(あるい)は性命(せいめい)の正(ただ)しきに原(もと)づくを以(もつ)て、知覚(ちかく)と為(な)す所以(ゆえん)は同(おな)じからず。是(これ)を以(もつ)て或(あるい)は危殆(きたい)にして安(やす)からず。或(あるい)は微妙(びみょう)にして見(あらわ)れ難(がた)きのみ。

然人莫不有是形。故雖上智不能無人心。亦莫不有是性。故雖下愚不能無道心。二者雜於方寸之間。而不知所以治之。則危者愈危。微者愈微。而天理之公。卒無以勝夫人欲之私矣。

(しか)れども人(ひと)(こ)の形(かたち)(あ)らざる莫(な)し。故(ゆえ)に上智(じょうち)と雖(いえど)も人心(じんしん)(な)きこと能(あた)わず。亦(また)(こ)の性(せい)(あ)らざる莫(な)し。故(ゆえ)に下愚(かぐ)と雖(いえど)も道心(どうしん)(な)きこと能(あた)わず。二者(にしゃ)方寸(ほうすん)の間(あいだ)に雑(まじわ)りて、而(しか)して之(これ)を治(おさ)むる所以(ゆえん)を知(し)らざれば、則(すなわ)ち危(あや)うき者(もの)(いよいよ)(あや)うく、微(び)なる者(もの)(いよいよ)(び)にして、天理(てんり)の公(こう)、卒(つい)に以(もつ)て夫(か)の人欲(じんよく)の私(わたくし)に勝(か)つ無(な)し。

精則察夫二者之間而不雜也。一則守其本心之正而不離也。從事於斯。無少間斷。必使道心常爲一身之主。而人心毎聽命焉。則危者安微者著。而動靜云爲。自無過不及之差矣。

(せい)は則(すなわ)ち夫(か)の二者(にしゃ)の間(あいだ)を察(さつ)して雑(まじ)えざるなり。一(いつ)なれば則(すなわ)ち其(そ)の本心(ほんしん)の正(ただ)しきを守(まも)りて離(はな)れざるなり。事(こと)にして斯(ここ)に従(したが)い、少(すこ)しの間断(かんだん)(な)く、必(かなら)ず道心(どうしん)をして常(つね)に一身(いつしん)の主(しゅ)と為(な)りて、人心(じんしん)をして毎(つね)に命(めい)を聴(き)かしむ。則(すなわ)ち危(あや)うき者(もの)(やす)く、微(び)なる者(もの)(あらわ)れて、動静(どうせい)云爲(うんい)、自(おの)ずから過不及(かふきゅう)の差(さ)(な)し。

夫堯舜禹。天下之大聖也。以天下相傳。天下之大事也。以天下之大聖。行天下之大事。而其授受之際。丁寧告戒。不過如比。則天下之理。豈有以加於此哉。

(そ)れ堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)、天下(てんか)の大聖(たいせい)なり。天下(てんか)を以(もつ)て相(あい)(つた)うるは、天下(てんか)の大事(だいじ)なり。天下(てんか)の大聖(たいせい)を以(もつ)て、天下(てんか)の大事(だいじ)を行(おこな)いて、其(そ)の授受(じゅじゅ)の際(さい)、丁寧告戒(ていねいこつかい)、比(かく)の如(ごと)くに過(す)ぎざれば、則(すなわ)ち天下(てんか)の理(り)、豈(あ)に以(もつ)て此(これ)に加(くわ)うること有(あ)らん哉(や)

自是以來。聖聖相承。若成湯文武之爲君。皐陶伊傳周召之爲臣。既皆以此而接夫道統之傳。

(こ)れ自(よ)り以来(このかた)、聖聖(せいせい)(あ)い承(う)け、成湯(せいとう)、文(ぶん)、武(ぶ)の君(きみ)と為(な)り、皐陶(こうよう)、伊(い)、伝(ふ)、周(しゅう)、召(しょう)の臣(しん)と為(な)るが若(ごと)き、既(すで)に皆(みな)(これ)を以(もつ)て、夫(か)の道統(どうとう)の伝(でん)を接(せつ)す。

若吾夫子。則雖不得其位。而所以繼往聖。開來學。其功反有賢於堯舜者。然當是時。見而知之者。惟顔氏曾氏之傳得其宗。及曾氏之再傳。而復得夫子之孫子思。則去聖遠而異瑞起矣。

(わ)が夫子(ふうし)の若(ごと)きは、則(すなわ)ち其(そ)の位(くらい)を得(え)ざると雖(いえど)も、而(しか)も往聖(おうせい)に継(つ)ぎ、来学(らいがく)を開(ひら)く所以(ゆえん)、其(そ)の功(こう)(かえ)つて堯(ぎょう)、舜(しゅん)に賢(まさ)る者(もの)(あ)り。然(しか)れども是(こ)の時(とき)に当(あ)たりて、見(み)て之(これ)を知(し)る者(もの)、惟(ただ)顔氏(がんし)、曽氏(そうし)の伝(でん)、其(そ)の宗(そう)を得(え)たり。曽氏(そうし)の再伝(さいでん)に及(およ)びて、復(ま)た夫子(ふうし)の孫子思(そんしし)を得(え)たり。則(すなわ)ち聖(せい)を去(さ)ること遠(とお)くして、異瑞(いたん)(おこ)る。

子思懼夫愈久而愈失其眞也。於是推本堯舜以來相傅之意。質以平日所聞父帥之言。更互演繹。作爲此書。以詔後之學者。蓋其憂之也深。故其言之也切。其慮之也遠。故其説之也詳。其曰天命率性。則道心之謂也。其曰擇善固執。則精一之謂也。其曰君子時中。則執中之謂也。世之相後。千有餘年。而其言之不異。如合符節。歴選前聖之書。所以提挈綱維。開示蘊奥。未有若是之明且盡者也。

子思(しし)、夫(か)の愈(いよいよ)(ひさ)しくして愈(いよいよ)(そ)の真(しん)を失(うしな)わんことを懼(おそ)る。是(ここ)に於(お)いて堯(ぎょう)、舜(しゅん)以来(このかた)(あい)(つた)うるの意(い)を推本(すいほん)して、質(ただ)すに平日(へいじつ)父帥(ふし)に聞(き)く所(ところ)の言(げん)を以(もつ)て、更互(こうご)演繹(えんえき)して、此(こ)の書(しょ)を作為(さくい)し、以(もつ)て後(のち)の学者(がくしゃ)に詔(つ)ぐ。蓋(けだ)し其(そ)の之(これ)を憂(うれ)うや深(ふか)し。故(ゆえ)に其(そ)の之(これ)を言(い)うや切(せつ)なり。其(そ)の之(これ)を慮(おもんばか)るや遠(とお)し。故(ゆえ)に其(そ)の之(これ)を説(と)くや詳(つまび)らかなり。其(そ)の天命(てんめい)(せい)に率(したが)うと曰(い)うは、則(すなわ)ち道心(どうしん)の謂(い)いなり。其(そ)の善(ぜん)を択(えら)び固(かた)く執(と)ると曰(い)うは、則(すなわ)ち精一(せいいつ)の謂(い)いなり。其(そ)の君子(くんし)(とき)に中(ちゅう)すと曰(い)うは、則(すなわ)ち中(ちゅう)を執(と)るの謂(い)いなり。世(よ)の相(あい)(おく)れたる千有余年(せんゆうよねん)、而(しか)して其(そ)の言(げん)の異(こと)ならず、符節(ふせつ)を合(あ)わすが如(ごと)し。前聖(ぜんせい)の書(しょ)を歴選(れきせん)するに、綱維(こうい)を提挈(ていけい)し、蘊奥(うんおう)を開示(かいじ)する所以(ゆえん)、未(いま)だ是(かく)の若(ごと)きの明(あき)らかにして且(か)つ尽(つく)す者(もの)(あ)らざるなり。

自是而又再傳以得孟氏。爲能推明是書。以承先聖之統。及其沒而遂失其傳焉。則吾道之所寄。不越乎言語文字之間。而異端之説。日新月盛以至於老佛之徒出。則彌近理而大亂眞矣。

(こ)れ自(よ)り又(また)再伝(さいでん)して以(もつ)て孟氏(もうし)を得(え)たり。能(よ)く是(こ)の書(しょ)を推明(すいめい)して以(もつ)て先聖(せんせい)の統(とう)を承(う)くることを為(な)す。其(そ)の沒(ぼつ)するに及(およ)びて、遂(つい)に其(そ)の伝(でん)を失(しつ)す。則(すなわ)ち吾(わ)が道(みち)の寄(よ)る所(ところ)、言語(げんご)文字(もんじ)の間(あいだ)に越(こ)えず、而(しか)して異端(いたん)の説(せつ)、日(ひ)に新(あら)たに月(つき)に盛(さか)んにして、以(もつ)て老仏(ろうぶつ)の徒(と)(い)づるに至(いた)りて、則(すなわ)ち弥(いよい)よ理(り)に近(ちか)くして、大(おお)いに真(しん)を乱(みだ)る。

然而尚幸此書之不泯。故程夫子兄弟者出。得有所考。以續夫千載不傳之緒。得有所據。以斥夫二家似是之非。蓋子思之功。於是爲大。而微程夫子。則亦莫能因其語而得其心也。

(しか)り而(しこう)して尚(なお)(さいわ)いに此(こ)の書(しょ)(ほろ)びず。故(ゆえ)に程夫子(ていふうし)兄弟(けいてい)の者(もの)(い)で、考(かんが)える所(ところ)(あ)りて、以(もつ)て夫(か)の千載不伝(せんざいふでん)の緒(しょ)を続(つ)ぐを得(え)たり。拠(よ)る所(ところ)(あ)りて、以(もつ)て夫(か)の二家(にか)(ぜ)に似(に)たるの非(ひ)を斥(しりぞ)けるを得(え)たり。蓋(けだ)し子思(しし)の功(こう)、是(ここ)に於(お)いて大(だい)と為(な)す。而(しか)して程夫子(ていふうし)(なか)りせば、則(すなわ)ち亦(また)(よ)く其(そ)の語(ご)に因(よ)りて其(そ)の心(こころ)を得(う)ること莫(な)し。

惜乎其所以爲説者不傅。而凡石氏之所輯録。僅出於其門人之所記。是以大義雖明。而微言未折。至其門人所自爲説。則雖頗詳盡而多所發明。然倍其師説而淫於老佛者。亦有之矣。

(お)しい乎(かな)。其(そ)の説(せつ)を為(な)す所以(ゆえん)は伝(つた)わらず。而(しか)して凡(およ)そ石氏(せきし)の輯録(しゅうろく)する所(ところ)、僅(わず)かに其(そ)の門人(もんじん)の記(き)する所(ところ)に出(い)づ。是(ここ)を以(もつ)て大義(たいぎ)(あき)らかなりと雖(いえど)も、而(しか)も微言(びげん)(いま)だ折(わかた)ず。其(そ)の門人(もんじん)(みずか)ら説(せつ)を為(な)す所(ところ)に至(いた)りては、則(すなわ)ち頗(すこぶ)る詳(つまび)らかに尽(つ)くして、発明(はつめい)する所(ところ)(おお)しと雖(いえど)も、然(しか)れども其(そ)の師説(しせつ)に倍(そむ)きて、老佛(ろうぶつ)を淫(いん)する者(もの)、亦(また)(これ)(あ)り。

熹自蚤歳。即嘗受讀而竊疑之。沈潛反復。蓋亦有年。一旦恍然似有以得其要領者。然後乃敢會衆説而折其中。既爲定著章句一篇。以俟後之君子。而一二同志。復取石氏書刪其繁亂。名以輯略。且記所嘗論辯取舎之意。別爲或問。以附其後。然後此書之旨。支分節解。脈絡貫通。詳略相因。巨細畢擧。而凡諸説之同異得失。亦得以曲暢旁通。而各極其趣。

(き)、蚤歳(そうさい)(よ)り、即(すなわ)ち嘗(かつ)て受読(じゅどく)して窃(ひそ)かに之(これ)を疑(うたが)い、沈潜(ちんせん)反復(はんぷく)、蓋(けだ)し亦(また)(ねん)(あ)り。一旦(いつたん)恍然(こうぜん)として以(もつ)て其(そ)の要領(ようりょう)を得(う)ること有()る者(もの)に似(に)たり。然(しか)して後(のち)(すなわ)ち敢(あえ)て衆説(しゅうせつ)を会(かい)して、其(そ)の中(ちゅう)を折(わか)つ。既(すで)に為(ため)に定(さだ)めて章句(しょうく)一篇(いつぺん)を著(あらわ)して、以(もつ)て後(のち)の君子(くんし)を俟(ま)つ。而(しか)して一二(いちに)の同志(どうし)、復(ま)た石氏(せきし)の書(しょ)を取(と)り、其(そ)の繁乱(はんらん)を刪(けず)り、名(な)づくるに輯略(しゅうりゃく)を以(もつ)てす。且(か)つ嘗(かつ)て論弁(ろんべん)取舎(しゅしゃ)する所(ところ)の意(い)を記(き)す。別(べつ)に或問(わくもん)と為(な)し、以(もつ)て其(そ)の後(のち)を附(ふ)す。然(しか)る後(のち)(こ)の書(しょ)の旨(むね)、支分(しぶん)節解(せつかい)し、脈絡(みゃくらく)貫通(かんつう)し、詳略(しょうりゃく)(あ)い因(よ)り、巨細(きょさい)(ことごと)く挙(あ)ぐ。而(しか)して凡(およ)そ諸説(しょせつ)の同異(どうい)得失(とくしつ)、亦(また)(もつ)て曲暢(きょくちょう)旁通(ぼうつう)して、各(おのおの)(そ)の趣(おもむき)を極(きわ)むるを得(え)たり。

雖於道統之傳。不敢妄議。然初學之士。或有取焉。則亦庶乎行遠升高之一助云爾。淳煕己酉春三月戊申。新安朱喜序。

道統(どうとう)の伝(でん)に於(お)いて敢(あえ)て妄(みだ)りに議(ぎ)せずと雖(いえど)も、然(しか)れども初学(しょがく)の士(し)、或(あるい)は取(と)る有(あ)らば、則(すなわ)ち亦(また)(とお)きに行(い)き、高(たか)きに升(のぼ)るの一助(いちじょ)に庶(ちか)からんと爾(し)か云(い)う。淳煕(じゅんき)己酉(きゆう)(はる)三月(さんがつ)戊申(ぼしん)、新安(しんあん)の朱喜(しゅき)(じょ)す。

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